身辺整理

迫りくる老い、衰え、貧困、孤独死を受け入れていくための準備

数日おいてもヌュへの熱は冷めないもので

相変わらず考えている。前回のメモ書きは川井わかさんご本人にも届いたらしい。

私にとっての7年間は推しと過ごした7年間であるとともに界隈で過ごした7年間でもあるので、必然的に思い出を書いていっても界隈の誰とどんな話をしたとかそういう要素が強くなってしまう。 オタクが過ごした日々は逆にアイドルにはあんまり見えない世界だと思うので、この機会にしっかり言語化しておいてよかったと思う。残念ながらまとまってはいないけど。 人間やっぱり感情の赴くまま何の推敲もせずに書いた支離滅裂でとりとめもない文章が本当の人間性が見えていいと思うんだよな。

それでも勢いのまま書いたので書き忘れていたことはあって、

  • わかちゃんが黒髪から茶髪にしたときの「え、めっちゃかわいい、でも黒髪がよかったなあ」という複雑な心境
  • 2ndが出た後にTwitterで「せっかくハービー山口さんの写真だから売ってくれないかな」みたいなのをつぶやいたら次の物販からブロマイドが出たこと(フジサキさんが私のツイートを見て決めたのか、もとからその予定があったのかは知らない)
  • 渋谷で(多分O-WESTO-EASTのあと)オタクのみなさんと飲んだこと
  • 「sanzan」でコールすることが好きじゃなかったこと
  • 「タイムマジックロンリー」でMIXを入れるオタクが好きじゃなかったこと
  • そして間奏で「そう、その調子です」を入れるオタクも好きじゃなかったこと
  • みおちゃんのラストライブのときに全体チェキだけ撮ってさっさと帰ったことをちょっとだけ後悔していること
  • まだSprechchorもOhana Misakiさんも見に行ってないこと
  • 港区女子が心配で仕方ないこと
  • 2回目のクリフサイドのあとに行ったカプリチョーザ
  • フェヌュ帰りにいろいろ話したこと
  • 推しが輝いているのに自分は何を今までやっていたのかと軽く沈んだこと
  • わかったの帰りに食べた崎陽軒シウマイ弁当は中がめちゃくちゃだったこと
  • まだ赤レンガ空中さんぽしていないこと

まだまだ思い出して書くことはありそう。

川井わかさんの卒業に寄せて、覚えていることを書き連ねる

NUANCEの川井わかさんが2024年3月24日をもってご卒業された。7年間のアイドルをやり切っての円満な卒業に、大変喜ばしく思っている。

いろいろとご本人と話したいことはあったが、当然ながら一切言葉にならなかったので、ヌュアンスの思い出を書き連ねる。まとまりはしない。

2017年:現場に通うまで

初期の多くの人がそうであったかと思われるが、アイドル三十六房でくまちゃんさんが持ち込んだCDの「セツナシンドローム」が沼への入口。

2017年7月6日とのこと。間違いなくこの時に曲の良さを実感している。私のような音楽知識のない人間にも簡単に刺さるんだから相当いいと思っていたが、この時点では現場に通っていない。翌月の三十六房に珠理ちゃんが来てたっけ。

初めての現場は2017年11月13日の新宿LOFT。SUMMER ROCKET主催イベントだったはず。このころはまだチェキもなく、個別のトークもなく、フライヤーにサインしてる間におしゃべりするようなスタイルだったと記憶している。なんかまだふわふわしてつかみどころのない、特にトークが弾むわけでもない4人だったことを記憶している。

で、11月13日か12月25日のライブがとんでもなく沸いていて、「シャララ シャララ」でMIXが入るし飛びまくるし、珠理ちゃんがすっごい楽しそうにしていたのを覚えている。その頃にいたオタクの人に「ヌュアンスってこんな沸くんですか!?」って聞いて、「いやそんなことないです」みたいに返された記憶がある

この1か月後にはクリフサイド。完全に心を奪われている。O-WESTワンマンが発表されてメンバーが号泣し、そのあと確か「青春の疑問符」だったと思うけどそれはそれはぐちゃぐちゃでしたね。

2018年:気づけばヌューメン

今ヌューメンなんて言ってます?

2018年1月7日の下北沢SHELTER。確かこれはサマロケかメログリかMash Berryの主催。tipToe.やこの頃話題になりつつあった眉村ちあきなど豪華な対バンだった。狭いフロア内で特典会がわちゃわちゃしていてとてもカオスだったことを覚えている。この日にtipToe.初見。(昼間タワレコ新宿でリリイベ)桐生ちありさんとデレマスの話をした。一時期ヌュの公式YouTubeにはこの時のセツナシンドロームが上がっていた。

3月22日。この日が私にとっては初めての吉田町Lilyで初めてのヌュマ。千葉から何度となく通った思い出深い場所。DJかにみそたわーがいた日。何気なくつぶやいた内容でヌューメンのフォロー/フォロワーが増えました。

この頃には基本的にわかちゃんと誰かのチェキを撮るようなムーブをしていたと思う。

3月24日、別方面の知人から「反町でnuanceって子がライブやってたけど知ってる?」と言われる。反町のライブ、おそらくクレームで音止められた会。

5月25日、横浜O-SITE。町ガやポニカロードと共演、私が行ったライブで、ヌュアンスとポニカロードが一緒にいたのはここだけ。

6月27日、O-WEST。8月11日、ラママ。美人スタッフとして知られていたひーさんがセクシーな服を着ていた。8月19日、サマソニ。ヌューメンの方とBECKまで見て帰った。8月24日、タワレコ吉祥寺でtipToe.との合同浴衣リリイベ。

8月29日、ヌュマにピノムックが来て縁日をした日。本人から「わか推しでしょ~?」って言われたのはちょうどこの頃。

11月3日、金沢文庫。2人で向かって真顔でお互いを見つめあうチェキを撮った。見つめあうと素直におしゃべりできない。某わんわんの持ってた新政ラピスをごちそうになった。

2019年:息をするようにライブに通っていたあの頃

2019年1月5日、タワーレコードNU茶屋町合同リリイベ。これ誰が主催だったのかも忘れてしまった。確かサマロケとSAWAさんあたりだった気がする。横浜のアイドルが大阪でも輝いていてすごくよかった。何も覚えていないけど、このあとだったか宮本むなしで延々と代代代の魅力を語られた気がする。

翌1月6日、味園ユニバース。とても素敵な対バンだったけど、たくさんのアイドルがご出演されていたのでサマロケやほわどるの印象が強く残っている。チェキを見返して気づいた、この日ヌュとチェキ撮ってない。

2月24日、横浜O-SITE。HAMIDASYSTEMにめっちゃ可愛い子がいて、のちにFLAMEさんだと教えてもらう。

4月25日、O-EASTOTOTOYで宗像さんによるインタビューが公開された。

ototoy.jp

ototoy.jp

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──私が好きなエピソードは、ライヴの前にnuanceのファンが集まっている串カツ田中で、「わかちゃんはあんなにかわいいのに彼氏がいないわけがない」とか勝手に病みはじめるんですよ。その時点で別に何も起きてないのに。

当事者としてここはコメントをしておく必要がある。「わかちゃんはあんなにかわいいのに彼氏がいないわけがない」と発言した人は確かにいた。そしてこの頃のオタクは確かに串カツ田中で飲んでたりもしていて、私も宗像さんとご一緒したことがある。(2018年8月23日の横浜ビブレでのリリイベ)ここで大事なのは、私の知る限り初出はインターネット上での書き込みであり、決して串カツ田中で病んで発言したわけではないということである。

さらに、もし宗像さんがそんなに串カツ田中でオタクと飲んでいなかったのであれば、この発言をリアルでした人物は消去法で私になる。(もちろん発言を取り上げる文脈である)

「からくれない」で泣いてたのは確かこの日だったはず。

5月2日、新宿Glad。たぶんGladで見たのはここだけ。なぜか淋しい熱帯魚みたいなポーズのチェキを撮った。

8月25日、@JAM EXPOに初出演。ミサキサンがcosmoでバランスを崩したのもご愛敬。

2019年の終わりから:生活の変化

この頃、WHY@DOLLの活動終了(2019.11)とtipToe.1期の終了(2020.1)が発表された。私にも同じタイミングで人生の転機が訪れており、これを契機と2020年1月をもって推し活から離れることを決意した。

10月5日から6日にかけて福岡遠征。わが故郷にまで足を運んできてくれて感謝という思いが強い。オタクの道案内をしたり、おすすめ教えたり、リョーユーのマンハッタンをお土産に持たせたりした。

11月6日、渋谷GladでtipToe.とdubrise。圧巻だった。ヌュのプロデューサーであるフジサキさんとtipのプロデューサーである本間さんには親交があることもあり、とにかくこの時期は2組が同時に出る対バンが多かった。そのたびに特典会でせわしなく回る必要があって大変だった気がする。

その最たるものが12月14日のタワーレコード難波→15日の心斎橋SUNHALLからのtipToe. @OSAKA MUSEという怒涛のスケジュール。

こうして振り返ると、ここ行ったな、あそこ行ったなみたいなものはたくさん出てくるけど肝心の話した内容はまったく思い出せない。基本的にはわかちゃんに主軸を置きつつもメンバー全員とまんべんなく撮るようにしていたからかもしれない。チェキを見返すと、ほかのメンバーにしか通ってない日も結構ある。

2020年1月5日、名古屋ell.FITS ALL。私にとって初めての名古屋で見るライブ。前日に無理して豊田で渡英前のMIONちゃんとチェキを撮ったことを思い出す。

1月31日、タワレコ秋葉原。なんだか狭いところで特にインストアライブがあるわけでもなく、ただのお渡し会だった気がする。みおちゃんとハルタの靴の話をした。

私のヌュとの思い出はここでいったん一区切り。折しも世の中はコロナ禍に突入しており、なかなか合間を見つけて通うこともできなくなってしまった。

10月18日、KT Zepp YOKOHAMAには反町でのことを教えてくれた知人を誘って参加した。掛け値なしにいいライブだった。

みおちゃんの卒業は見届けることができたけど、misakiさんと珠理ちゃんの最後のライブには自身の学業の都合で立ち会うことができなかった。推し活から離れて打ち込んでいた3年間は、TIF出演などヌュにとって大きな出来事も多くあり、自分で決めたとはいえこの時期を見られなかったことが結果的には悔やまれる。

それでもずっとヌュアンス現場の人だと思われていたらしく、Negiccoの現場でもほわどるの現場でも「あ、ヌュアンスの…」みたいな扱いをされた。

クリフサイド、フェヌュX、そしてわかった

2023年の夏は久々にTIFにも行き、雨上がりの特典会をなぜか先頭で行う栄誉を得たのだが、そこからまた個人的な事情により足は遠のいてしまい、クリフサイドで本格復帰。新メンバーの3人ともようやくはじめまして。城戸さんは水を飲んでむせていた。フジサキさんに「じゃあ次はフェヌュで!」と言ったら「ほかのも来てくれていいんですよ」って言われたけど、結局次はフェヌュになっちゃった。

フェヌュは10回目らしいけど、10回目にして初参加。いい感じの治安の悪さがあって、クリフのときのおとなしさは何だったんだろうという気にもなる。夢日和のおかげでガチ恋口上もできたので感謝している。

絶対にラストライブはチェキ列が長くなり、大して話すこともできないだろうと思い、最後の接触にすることに決めて背広で向かった。tip1期の頃から、卒業を見送るときは背広で父兄のコスプレをすることにしている。特典会はそれしかやることはなかったし、本人に対して言うことも何もなかった。ただ頭を下げ、ありがとうございましたというのが精一杯。

ラストライブのことは言うまでもない。「ミライサーカス」「sky balloon」を後ろで見ていると、会場の一体感が伝わってきて自分が推してきた子が本当に愛されていたんだなと思えたし、その一員であったことが嬉しかった。川井わかは私の事なんか忘れるくらい幸せになってほしいって言ってたけど、川井わかの記憶がない人生なんて幸せじゃないので今絞り出せるすべての記憶をここに書いた。

これから

推しがこんなにキラキラした卒業をして輝いているんだから、私も推しに見合う人間にならないといけない。

残された3人のことは全く心配していない。私はこれからもヌュアンスのファンであり続けたい。ただ次の推しは正直まったく決められていないので、当分フジサキ推しです。

岡本ひかりちゃんのことを時々思い出す

このことについては昔やっていたブログにも書いたのでもしかしたらかつてどこかで見たって人もいるかもしれないが、振り返るとやはりここにたどりつくので書いておくべき。

アイドルの思い出を考えるときに外せないのが岡本ひかりちゃん。

彼女はもはや伝説ともいえる事務所アルテミスプロモーションにいた子で、HAPPY LESSONOVAの主題歌だったり熱烈投稿の表紙を飾っていたこともある。

そんな子のライブにうっかり顔を出したことがあって、しばらく現場通いをしていた。2005年から2006年頃だったか。彼女からは「弟に似てる」というなんと感想を述べてよいかわからない言い方をされていた。

よくL@N AKASAKAに行った記憶がある。千代田線赤坂駅を降りてしばらくホテル街を歩いた中にあったライブハウスで、村山たけし主催のイベントが頻繁に開催されていた。気づけば「村山ひとしのお仕事日記」ははてなダイアリーだったからか読めなくなっており、いつの出来事だったかも思い出せなくなってしまった。ちゃーみーくいーんとかも何度か見た気がする。ちゃーみーくいーんはヌキ天の初代チャンピオン(2代目はNegicco)であり、こういうところにも自分の中で細々とつながっている要素を見出せる。

いろんなところに応援に行った。石丸SOFT1とか、平和島競艇とか、横浜マリンタワーとか、西麻布とか、亀戸とか。西麻布は確か野水伊織ちゃんと2人で組んでライブをしていたはず。亀戸は確か知的障碍者関連の運動会みたいなイベントで、ファン仲間と一緒にお手伝いをしたのを覚えている。こどもたちの集いみたいな感じで、その世界ではこどもという表現を使うことを初めて知った。高橋元太郎さんがいたのと、帰りに産ストリート亀戸に行ったのは覚えている。

あの頃のアイドル現場といえば、終わった後にアイドルとマネージャーとファン数名で一緒にご飯を食べるみたいなものもあった。今同じことをやろうとするとアイドル側は参加費を徴収することができる。いい時代だったというほかない。

何が自分を作ったのかを考える

自分の好きなものを語ることはあまり好きではなくてなるべく控えるようにしていた。というのも、自分は典型的な「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」タイプであり、嫌いな人間が好きを公言しているものに対して嫌悪感を抱くからだ。特にこのことに対してはマイナスには思っていない。嫌いな人間とはなるべく距離を置かなければならない。間違っても不用意に近づくようなことは行ってはならない。

これはリスクマネジメントである。右直事故が起きそうだから一旦停止しよう、というのと本質的には何も変わらない。口論になる可能性があるからなるべく距離を置く。お互い平和。WIN-WIN

とはいえ、予想もしないところで人間同士の衝突は起こる。そうして失った人間関係も数多くあるし、これからも失い続ける。最初から接近しなければ問題は起こらないのに、こういうことはなぜか下手に仲良くなってから起きる。考えてもみてほしい、仲良くなった人がまさかのたけのこの里派だった場合を。

トラブルを防ぐために、自分の好きだったものについてつらつらと書いていくことにした。それは自分のルーツを紐解くことであり、結果は価値観や嗜好に反映されている。特に地下アイドル界隈で知り合いになった人に対して自分の通ってきた道を開示することで、不幸な事故を減らしたい。

家計管理を見直す序章

最近あんまり見ていなかったマネーフォワードを見直して、何もしなくても会計項目が反映されるようにしようと思った。

金の使い方は大まかに、消費・浪費・投資の3つに分類されるらしい。

 この分け方はすっきり理解できる。必要な分を消費し、その残りを浪費や投資に振り分けるようなイメージ。

この一方で家計に関しては固定費と変動費という考えもある。消費の中には固定費と変動費があり、固定費は一度抑えてしまえばそこまで変わることがない分、変動費の部分をうまくコントロールすることが肝になると理解している。この考え方を進めているところがMoneySenseCollegeで、支出を固定費、変動費、自己投資、貯蓄・投資の4つに分けてそれぞれを均等にすることを主眼に置いたQGSを提唱している。

個人的にQGSの考え方は明解で分かりやすいが、デフォルトでは自己投資の中に娯楽費が含まれている。本当に投資として必要なものと遊びの金は区別すべきだと思っていて、その点だけはなんかしっくりこなかった。変に振り分けると今度は25%のバランスが崩れるし、実際に適用していく過程では難しさを感じることになりそうだ。

両者を見比べて重複の内容に数え上げた結果、

  • 固定費
  • 変動費
  • 遊興費
  • 教育費
  • 貯蓄・投資

の5つに分類することにした。QGSに比べると自己投資を遊興費と教育費に分けただけである。これにより、消費は固定費と変動費に、浪費は遊興費に、投資は教育費と貯蓄・投資に対応するようになる。

あんまり細かく管理してもしょうがないので、しばらくはこれで進めていく所存。

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

東京都美術館で開催中の「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」を見てきた。

ウィーン分離派の影響を受けた初期作品、表現主義の中期、より写実的になった後期とどんどん変わっていく作風を体験できて非常に満足した。

ここ数年見始めた程度の美術に疎い自分でもさすがに知っている『ほおずきの実のある自画像』を実際に見れたのもよかった。ほおずきのことは英語だとChinese Lantern Plantらしい。そういうところにも個人的な面白さを感じた。