身辺整理

迫りくる老い、衰え、貧困、孤独死を受け入れていくための準備

岡本ひかりちゃんのことを時々思い出す

このことについては昔やっていたブログにも書いたのでもしかしたらかつてどこかで見たって人もいるかもしれないが、振り返るとやはりここにたどりつくので書いておくべき。

アイドルの思い出を考えるときに外せないのが岡本ひかりちゃん。

彼女はもはや伝説ともいえる事務所アルテミスプロモーションにいた子で、HAPPY LESSONOVAの主題歌だったり熱烈投稿の表紙を飾っていたこともある。

そんな子のライブにうっかり顔を出したことがあって、しばらく現場通いをしていた。2005年から2006年頃だったか。彼女からは「弟に似てる」というなんと感想を述べてよいかわからない言い方をされていた。

よくL@N AKASAKAに行った記憶がある。千代田線赤坂駅を降りてしばらくホテル街を歩いた中にあったライブハウスで、村山たけし主催のイベントが頻繁に開催されていた。気づけば「村山ひとしのお仕事日記」ははてなダイアリーだったからか読めなくなっており、いつの出来事だったかも思い出せなくなってしまった。ちゃーみーくいーんとかも何度か見た気がする。ちゃーみーくいーんはヌキ天の初代チャンピオン(2代目はNegicco)であり、こういうところにも自分の中で細々とつながっている要素を見出せる。

いろんなところに応援に行った。石丸SOFT1とか、平和島競艇とか、横浜マリンタワーとか、西麻布とか、亀戸とか。西麻布は確か野水伊織ちゃんと2人で組んでライブをしていたはず。亀戸は確か知的障碍者関連の運動会みたいなイベントで、ファン仲間と一緒にお手伝いをしたのを覚えている。こどもたちの集いみたいな感じで、その世界ではこどもという表現を使うことを初めて知った。高橋元太郎さんがいたのと、帰りに産ストリート亀戸に行ったのは覚えている。

あの頃のアイドル現場といえば、終わった後にアイドルとマネージャーとファン数名で一緒にご飯を食べるみたいなものもあった。今同じことをやろうとするとアイドル側は参加費を徴収することができる。いい時代だったというほかない。