身辺整理

迫りくる老い、衰え、貧困、孤独死を受け入れていくための準備

川井わかさんの卒業に寄せて、覚えていることを書き連ねる

NUANCEの川井わかさんが2024年3月24日をもってご卒業された。7年間のアイドルをやり切っての円満な卒業に、大変喜ばしく思っている。

いろいろとご本人と話したいことはあったが、当然ながら一切言葉にならなかったので、ヌュアンスの思い出を書き連ねる。まとまりはしない。

2017年:現場に通うまで

初期の多くの人がそうであったかと思われるが、アイドル三十六房でくまちゃんさんが持ち込んだCDの「セツナシンドローム」が沼への入口。

2017年7月6日とのこと。間違いなくこの時に曲の良さを実感している。私のような音楽知識のない人間にも簡単に刺さるんだから相当いいと思っていたが、この時点では現場に通っていない。翌月の三十六房に珠理ちゃんが来てたっけ。

初めての現場は2017年11月13日の新宿LOFT。SUMMER ROCKET主催イベントだったはず。このころはまだチェキもなく、個別のトークもなく、フライヤーにサインしてる間におしゃべりするようなスタイルだったと記憶している。なんかまだふわふわしてつかみどころのない、特にトークが弾むわけでもない4人だったことを記憶している。

で、11月13日か12月25日のライブがとんでもなく沸いていて、「シャララ シャララ」でMIXが入るし飛びまくるし、珠理ちゃんがすっごい楽しそうにしていたのを覚えている。その頃にいたオタクの人に「ヌュアンスってこんな沸くんですか!?」って聞いて、「いやそんなことないです」みたいに返された記憶がある

この1か月後にはクリフサイド。完全に心を奪われている。O-WESTワンマンが発表されてメンバーが号泣し、そのあと確か「青春の疑問符」だったと思うけどそれはそれはぐちゃぐちゃでしたね。

2018年:気づけばヌューメン

今ヌューメンなんて言ってます?

2018年1月7日の下北沢SHELTER。確かこれはサマロケかメログリかMash Berryの主催。tipToe.やこの頃話題になりつつあった眉村ちあきなど豪華な対バンだった。狭いフロア内で特典会がわちゃわちゃしていてとてもカオスだったことを覚えている。この日にtipToe.初見。(昼間タワレコ新宿でリリイベ)桐生ちありさんとデレマスの話をした。一時期ヌュの公式YouTubeにはこの時のセツナシンドロームが上がっていた。

3月22日。この日が私にとっては初めての吉田町Lilyで初めてのヌュマ。千葉から何度となく通った思い出深い場所。DJかにみそたわーがいた日。何気なくつぶやいた内容でヌューメンのフォロー/フォロワーが増えました。

この頃には基本的にわかちゃんと誰かのチェキを撮るようなムーブをしていたと思う。

3月24日、別方面の知人から「反町でnuanceって子がライブやってたけど知ってる?」と言われる。反町のライブ、おそらくクレームで音止められた会。

5月25日、横浜O-SITE。町ガやポニカロードと共演、私が行ったライブで、ヌュアンスとポニカロードが一緒にいたのはここだけ。

6月27日、O-WEST。8月11日、ラママ。美人スタッフとして知られていたひーさんがセクシーな服を着ていた。8月19日、サマソニ。ヌューメンの方とBECKまで見て帰った。8月24日、タワレコ吉祥寺でtipToe.との合同浴衣リリイベ。

8月29日、ヌュマにピノムックが来て縁日をした日。本人から「わか推しでしょ~?」って言われたのはちょうどこの頃。

11月3日、金沢文庫。2人で向かって真顔でお互いを見つめあうチェキを撮った。見つめあうと素直におしゃべりできない。某わんわんの持ってた新政ラピスをごちそうになった。

2019年:息をするようにライブに通っていたあの頃

2019年1月5日、タワーレコードNU茶屋町合同リリイベ。これ誰が主催だったのかも忘れてしまった。確かサマロケとSAWAさんあたりだった気がする。横浜のアイドルが大阪でも輝いていてすごくよかった。何も覚えていないけど、このあとだったか宮本むなしで延々と代代代の魅力を語られた気がする。

翌1月6日、味園ユニバース。とても素敵な対バンだったけど、たくさんのアイドルがご出演されていたのでサマロケやほわどるの印象が強く残っている。チェキを見返して気づいた、この日ヌュとチェキ撮ってない。

2月24日、横浜O-SITE。HAMIDASYSTEMにめっちゃ可愛い子がいて、のちにFLAMEさんだと教えてもらう。

4月25日、O-EASTOTOTOYで宗像さんによるインタビューが公開された。

ototoy.jp

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──私が好きなエピソードは、ライヴの前にnuanceのファンが集まっている串カツ田中で、「わかちゃんはあんなにかわいいのに彼氏がいないわけがない」とか勝手に病みはじめるんですよ。その時点で別に何も起きてないのに。

当事者としてここはコメントをしておく必要がある。「わかちゃんはあんなにかわいいのに彼氏がいないわけがない」と発言した人は確かにいた。そしてこの頃のオタクは確かに串カツ田中で飲んでたりもしていて、私も宗像さんとご一緒したことがある。(2018年8月23日の横浜ビブレでのリリイベ)ここで大事なのは、私の知る限り初出はインターネット上での書き込みであり、決して串カツ田中で病んで発言したわけではないということである。

さらに、もし宗像さんがそんなに串カツ田中でオタクと飲んでいなかったのであれば、この発言をリアルでした人物は消去法で私になる。(もちろん発言を取り上げる文脈である)

「からくれない」で泣いてたのは確かこの日だったはず。

5月2日、新宿Glad。たぶんGladで見たのはここだけ。なぜか淋しい熱帯魚みたいなポーズのチェキを撮った。

8月25日、@JAM EXPOに初出演。ミサキサンがcosmoでバランスを崩したのもご愛敬。

2019年の終わりから:生活の変化

この頃、WHY@DOLLの活動終了(2019.11)とtipToe.1期の終了(2020.1)が発表された。私にも同じタイミングで人生の転機が訪れており、これを契機と2020年1月をもって推し活から離れることを決意した。

10月5日から6日にかけて福岡遠征。わが故郷にまで足を運んできてくれて感謝という思いが強い。オタクの道案内をしたり、おすすめ教えたり、リョーユーのマンハッタンをお土産に持たせたりした。

11月6日、渋谷GladでtipToe.とdubrise。圧巻だった。ヌュのプロデューサーであるフジサキさんとtipのプロデューサーである本間さんには親交があることもあり、とにかくこの時期は2組が同時に出る対バンが多かった。そのたびに特典会でせわしなく回る必要があって大変だった気がする。

その最たるものが12月14日のタワーレコード難波→15日の心斎橋SUNHALLからのtipToe. @OSAKA MUSEという怒涛のスケジュール。

こうして振り返ると、ここ行ったな、あそこ行ったなみたいなものはたくさん出てくるけど肝心の話した内容はまったく思い出せない。基本的にはわかちゃんに主軸を置きつつもメンバー全員とまんべんなく撮るようにしていたからかもしれない。チェキを見返すと、ほかのメンバーにしか通ってない日も結構ある。

2020年1月5日、名古屋ell.FITS ALL。私にとって初めての名古屋で見るライブ。前日に無理して豊田で渡英前のMIONちゃんとチェキを撮ったことを思い出す。

1月31日、タワレコ秋葉原。なんだか狭いところで特にインストアライブがあるわけでもなく、ただのお渡し会だった気がする。みおちゃんとハルタの靴の話をした。

私のヌュとの思い出はここでいったん一区切り。折しも世の中はコロナ禍に突入しており、なかなか合間を見つけて通うこともできなくなってしまった。

10月18日、KT Zepp YOKOHAMAには反町でのことを教えてくれた知人を誘って参加した。掛け値なしにいいライブだった。

みおちゃんの卒業は見届けることができたけど、misakiさんと珠理ちゃんの最後のライブには自身の学業の都合で立ち会うことができなかった。推し活から離れて打ち込んでいた3年間は、TIF出演などヌュにとって大きな出来事も多くあり、自分で決めたとはいえこの時期を見られなかったことが結果的には悔やまれる。

それでもずっとヌュアンス現場の人だと思われていたらしく、Negiccoの現場でもほわどるの現場でも「あ、ヌュアンスの…」みたいな扱いをされた。

クリフサイド、フェヌュX、そしてわかった

2023年の夏は久々にTIFにも行き、雨上がりの特典会をなぜか先頭で行う栄誉を得たのだが、そこからまた個人的な事情により足は遠のいてしまい、クリフサイドで本格復帰。新メンバーの3人ともようやくはじめまして。城戸さんは水を飲んでむせていた。フジサキさんに「じゃあ次はフェヌュで!」と言ったら「ほかのも来てくれていいんですよ」って言われたけど、結局次はフェヌュになっちゃった。

フェヌュは10回目らしいけど、10回目にして初参加。いい感じの治安の悪さがあって、クリフのときのおとなしさは何だったんだろうという気にもなる。夢日和のおかげでガチ恋口上もできたので感謝している。

絶対にラストライブはチェキ列が長くなり、大して話すこともできないだろうと思い、最後の接触にすることに決めて背広で向かった。tip1期の頃から、卒業を見送るときは背広で父兄のコスプレをすることにしている。特典会はそれしかやることはなかったし、本人に対して言うことも何もなかった。ただ頭を下げ、ありがとうございましたというのが精一杯。

ラストライブのことは言うまでもない。「ミライサーカス」「sky balloon」を後ろで見ていると、会場の一体感が伝わってきて自分が推してきた子が本当に愛されていたんだなと思えたし、その一員であったことが嬉しかった。川井わかは私の事なんか忘れるくらい幸せになってほしいって言ってたけど、川井わかの記憶がない人生なんて幸せじゃないので今絞り出せるすべての記憶をここに書いた。

これから

推しがこんなにキラキラした卒業をして輝いているんだから、私も推しに見合う人間にならないといけない。

残された3人のことは全く心配していない。私はこれからもヌュアンスのファンであり続けたい。ただ次の推しは正直まったく決められていないので、当分フジサキ推しです。